博文

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“Impact of Science & Technology on Human Conditions & Development” 東京大学副学長 羽田 正 本日ここに東アジア4大学(BESETOHA)フォーラムが開催され、北京大学、ソウル国立 大学校、ハノイ国家大学の学長はじめ関係者の皆様方と親しくお目にかかる機会をえた ことを大変うれしく思います。会議の開催のためにご尽力下さった北京大学の ZHOU Qifeng 学長及び関係者の皆さまに厚く御礼を申し上げます。また、今回のフォーラムには、健康上の理由で本学の濱田純一総長が参加できず、申し訳ありません。本人は大変残念がっておりまして、皆様によくお詫びしておいてほしいとの言伝を預かっております。すでにほとんど日常業務に支障がないほどに回復しておりますので、来年以降のフォーラムにはまた参加することと思います。今回については、失礼をどうぞお許しください。 この伝統あるフォーラムでお話しする機会を頂き、大変光栄に思っております。今回の フォーラムの題目は、英語で頂きました。はじめて参加し、しかも代理で話をせねばな らない私には、なかなか難しい題目です。この題目を決めるソウルでの会議に、私は参 加していたのですが、まさか自分がそのことについて語る羽目に陥るとは想像せず、 こ れで行きましょう」と安易に賛成してしまいました。軽率だったと反省しています。し かし、私もかかわって決めた題目ですので、言い訳はできません。以下、このテーマに ついて私が考えるところをお話しさせていただきます。 私は歴史学者であり、人文学の研究者ですので、言葉の意味にこだわりを持ちます。そ こで、この題目そのものにかかわる問題をお話ししたいと思います。先ほどこの題目で 話すのは難しいと申し上げました。その理由は二つあります。一つは、英語の題目を日 本語に翻訳した上でその内容について語ることの難しさです。人間とその文化に関わる 人文学と社会科学の一部では、これまで主に国ごとにその国の言葉を使って研究が行わ れてきました。いうまでもなく、言語が異なれば、人間とその社会を理解するための表 現と知識の体系は微妙に異なります。問いの立て方や議論の進め方も異なります。この 後の私の話...

これからの目標

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東京の早稲田大学で交換留学生になるため、私は去年の九月に日本へ留学に来ました。時間の流れは速いので、いやでも今年の八月で中国に帰ります。ちょっと切なくて耐えられない気持ちが出でいるような気がします。この一年間、いろいろとお世話になり、知識をたくさん得て、とても感謝します。でも、私の人生はここで止まるわけではありません。中国に帰って、新しい人生が始まるので、頑張らなければなりません。 これまでブログの中で、一番楽しかったのは、おすすめのお店のブログでした。なぜなら、私は食べ物が大好きで、食べ物についてのブログを楽しく書いたからです。一番大変だったのは、自由テーマでした。どのようなトピックを選んだらいいかとよく分かりませんでした。今学期の最初と比べて、今、日本語の能力特に文法が上手になって、今学期の目標を達成したと思います。 でも、これはまだまだです。勉強しなければならないことはいっぱいあるから、中国に帰っても、北京の大学で引き続き日本語を勉強しようと思っています。 早稲田大学で、日本語の授業以外、別の科目もありました。毎日楽しんで勉強している私は国際関係についての科目に深く興味を持っています。友達との人間関係とは違う、国際関係はもっと深刻な理解が必要です。 だから、私は北京の大学に卒業した後国際関係専門の修士を専攻することにしました。目標に向かって、帰国しても日本語を決して手放さないです 。 そして、私のこれからの目標は、自分が日本語・中国語・英語ができる利点を利用して、日中関係に自分の力を捧げます。前に進む道路が棘だらけでも、前に進みましょう!

私の子供時代

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 「まるで小学校の時だな」という思いが浮かびます。いつも一人で自分の部屋にいました。そこで宿題をしたり、好きな本を読んだりして、一人で、長閑に時間を送りました。すごく小さい部屋なので、家具などでいっぱいで、遊ぶところはあまりありませんでした。そしていつも椅子に座って、窓越しに、空またはその空を飛びまわる隣人の誰かによって飼われているハトたちの姿を見ていました。親たちの帰りをそのまま待っていました。日没を過ぎても、両親は誰も帰ってこないこともありました。そのような時に、恐怖心を抱いていた私は、部屋のドアを閉じて、布団を頭までかぶり、時間が早く回るよう祈っていました。  ようやく夕食の時間でした。  「お前、今日学校で何勉強したの?先生の話ちゃんと聞いた?」と一日の仕事を終わったばかりの父は久しく会話してくれました。こういう「久しい」の気持ちは、奇妙だといえば奇妙だし、今になって振り返って見ると、やはり父への愛着心が深かったなと思っています。父だけじゃなく、母の方もそう言えます。  懐かしいです。中学校に入ってから、学校での勉強時間が増えたので、親たちと一緒に夕食をとる時間がどんどん減ってしまいました。それとともに、会話する時間も減ってしまいました。  今、中国の家にいる親たちと日本で交換留学を送っている私の間には、一体どれぐらい距離があるんでしょう。「せめて電話した方がいいわ、どうせ帰れないし」と母の声が聞こえました。  「もしもし、私よ。」  「あ。もう勉強で疲れたところ?ご飯ちゃんと食べた?お父さんはまだ仕事中なんだから、そろそろ帰ってくるかな。」と母は昔ながらしゃべり続けました。意外温かく思いました。  「親と子供ね、変わったのは子供じゃない。」 今一度考えてみたら、それに間違いないです。もっと子供であるわたしが力を入れて、その大事なつながりを守りたいです。

行きたいお店

    私が行きたいお店は、「MKレストラン」というお店です。「MKレストラン」はしゃぶしゃぶ食べ放題のお店です。そのお店には、4つのコースがあります。Dコースは一番安いコースとして1880円です。     MKは4つの店舗があります。ウムの紹介したお店が新宿にあります。MKの新宿店の最寄り駅は新宿三丁目駅です。出口のB2を出て、右に曲がってまっずく歩いたら1分でつきます。私の住所から副都心線で行けます。とても近くて、便利だと思います。     私は中国人ですから、しゃぶしゃが大好きです。中国では、しゃぶしゃぶ食べ放題のお店がたくさんありますが、MKというお店を見たことがありません。チャンスがあったら、行ってみたいと思います。

おすすめのお店

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 あなたは辛い食べ物が好きですか?そして、本格的な中華料理が好きですか?辛い食べ物が本当に好きな人にとって、日本の食べ物に辛いものがないかもしれません。だから、私は、本格的な辛い中華料理を売っているお店をすすめたいと思います。  おすすめるお店は、「東京愛情麻辣湯(マーラータン)」と呼ばれる中華料理のお店です。お勧めのメニューは「麻辣香鍋」(マーラーシャングオ)です。「麻辣香鍋」(マーラーシャングオ)は中国語なんですが、日本語で「ピリ辛くてうまい鍋」と言う意味です。鍋といっても鍋のスープはほとんどなく、食材を激辛のタレで炒めて大鍋で出す料理なんです。食材はお肉や野菜など好きな食材を自由に選んで入れて、四川料理として中国の若者の間で人気料理なので、との「麻辣香鍋」(マーラーシャングオ)のお店でもいつも客がいっぱいです。   日本に来てから、初めて日本で本当に辛いものをで食べたところは、「東京愛情麻辣湯(マーラータン)」でした。そこに食べた「麻辣香鍋」(マーラーシャングオ)は、すごく辛いから、本格的な中華料理だと思います。そして、中国では、大鍋で出す料理なので、友達と一緒に複数人で「麻辣香鍋」(マーラーシャングオ)を囲んで食べるのは一般的ですが、そのお店で、1人用の小さな鍋で麻辣香鍋が食べられて、一人だけでも大丈夫です。680円の基本の値段で好きな具材を5品選ぶことができ、追加は1品100円です。辛さは4段階あって、自分で選べます。  そのお店は、早稲田通りにあります。最寄り駅はJR高田馬場駅です。JR高田馬場駅から早稲田通りを早稲田方向へ徒歩5分ぐらいです。

一番印象的な旅行

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私は旅行が大好きなので、小さい頃から旅行に行ったことがたくさんあります。今まで一番印象に残った旅行は、去年の冬に行ったロシアの旅行です。 雪のロシアにいる 恐れていた寒さはそれほどでもなく、オフシーズンなので観光客も少なかったです。観光地と景色もゆっくり見られました。雪のロシアでの自然が作り出した景色にとても感動しました。 クリミア半島 最も忘れられないことは、クリミア半島の旅です。クリミア半島に着いた後、どうしても ATM でお金を引き出しができませんでした。インターネットで探して、「アメリカの制裁により、クリミアでビザとマスターカードが使えなくなる」と分かりました。その時、ルーブルの現金を持っていなかった私たちは、もう助からなくなりました。運がよく、やさしいクリミアの住民のバシアさんに会いました。彼氏はロシア語ができましたが、方言なので言語が通じなかったため、バシアさんと交流することが難しかったです。それでも、バシアさんは私たちに「センターホテルで日本円からルーブルを 両替できる」と熱心に教えてくれて、ホテルまで案内してくれました。その後、バシアさんは私たちに自分で運営しているレストランに誘いました。そこで私たちはグルジア風のパンを食べてみて、人の優しさに触れて、とても心温まりました。 クリミアの住民のバシアさんと私 その旅の途中で、綺麗な景色を自分の目で見たり、やさしい地元の人に会ったりしたことは、本当に忘れられない経験です その経験のおかげで、何年経っても、当時の記憶と気持ちなどを思い出します。

チン・マツゲンのブログのサマリー

  チンさんは、大切な友達のジャンさんについて書きました。   ジャンさんの親とチンさんの父は同僚ですから、二人は小学校の時から知り合いになりました。今までもう十年間になりました。チンさんは小学校の時からジャンさんと一緒に遊んだり、食事をしたりしました。違う高校に入った後、一緒に食事をする時間がなくなっても、毎日インターネットでチャットしています。そして、二人は 毎年の春節 も一緒に過ごしました。二人は喜びを分かち合い、苦しみも分かち合い、いっしょに笑って、いっしょに泣きます。 ジャンさんはチンさんより一つ年上で、チンさんにとってお姉さんのような存在です。それもチンさんはジャンが好きな理由です。